【札幌 弁護士コラム】プリミティブな発想を忘れないことの大切さ

【札幌 弁護士コラム】プリミティブな発想を忘れないことの大切さ

あまり公にしていませんでしたが、昨日からバリ島に来ています(別にそこまで隠してもいませんが。)。
初日、やや遠出をしてウブドというエリアまで足を伸ばして町の風情を感じてきました。

まず、感じたのは、車の運転が荒いこと。
バリ島は自動車以外の交通手段がなく、交通量は相当なものがあります。
その上、道が十分に整備されているとはいえず、少し幹線道路になるとかなりのノロノロ運転になります。
一方で、車が流れているところでは、さながらマリオカートの如く、猛スピードの車同士が我先にとカーチェイス(?)を繰り広げます。

一方、ウブドでの土産物屋さんでは、観光地にありがちな値札を付けず、金額を聞くとふっかけてくるような商売が未だに主流になっています。
また、一見普通に見えるようなスーパーで買い物をしたのですが、時間があまりなかったために急いで買ったコーヒーの粉が異常に高い金額がついていたりと、なかなかに攻める商売をしている状況を目の当たりにしました。

このようなことを現在の日本で行ったとしたら「ありえない。」とか「不道徳だ。」とか「どうかしてる。」などとの誹りを受けることは間違いないでしょう。
しかし、日本でこのようなことが普通に行われていた時代がなかったかというとそうではありません。
日本でもかつては交通戦争と言われたように交通事故が多発するような時代があり(一因としては運転の仕方にあったことも否定できません。)、終戦直後のヤミ市で売られていた米の値段がまともなものであったとは到底いえません。

もちろんこのようなことを現在の日本で復活させろなどというつもりは毛頭ないのですが、このように「とにかく早く目的地に着きたい。」とか「とにかく多くの金を稼ぎたい。」といったプリミティブな気持ちを出発点とすることは忘れてはならないように思います。
それというのもそれなりに経済発展を遂げ、食うに困らないような社会になり、何を目的に生きていいかわからない若者が増加し続けている日本において、あまりにも机上の空論が幅を利かせているように思われるからです。

もちろん、最終的には理論的に説明のつくことはいくらでもありますが、最初から理論に走ることと、プリミティブな感情に基づいて行動を起こし、紆余曲折を経て最終的に理論的な説明に基づく結果と合致することには大きな隔たりがあります。
現代の日本においては「失敗しないこと」「言い訳できる理由を用意しておくこと」「欲をひた隠しにすること」がもてはやされ過ぎているのではないかと思います。

思うがままにやりすぎで大転倒するような人が陸続と現れ、社会もそれを許容するような状況でなければ、今後の日本の再興は考え難いように思っているのですが、いかがでしょうか。

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