【札幌 弁護士コラム】「時間がない」ということの本質とは

【札幌 弁護士コラム】「時間がない」ということの本質とは

よく「時間がない」という人がいますが、「時間がない」ということになってしまう原因は何でしょうか。

また、時間があったとしたらその人は何をやるものなのでしょうか。

今回はそのようなことについて少々考えてみました。

 

私(荒木)も全く他人事ではないのですが、いつも「時間がない」といって予定を先延ばしにしたり、遅刻してきたりする人があなたの周りにもいるのではないでしょうか。

そもそも「時間がない」というのが何を指しているのか、ということをまず考えなければならないと思います。

 

それというのも人間はみな、1日24時間、1年365日の中で生活を送っています。

それを前提とすると誰しもが平等な時間を与えられているはずであり、特定の人だけがほかの人よりも少ない時間しか与えられなかったということはありえないことです。

ですので、「時間がない」というのが「時間の総量が少ない」という意味でないことは明らかです。

 

ではなぜ特定の人だけが「時間がない」というのか、ということですが、ここでの意味は「何かやらなければならないorやりたいことに充てる時間が足りない」ということです。

すなわち、「何かやらなければならないorやりたいことに充てる時間」が1日24時間という時間と不均衡を起こしており、24時間を超えることになっているということです。

 

しかし、冷静になってみるとそんなことは起こりうるのでしょうか。

 

時間は何か重要なことをやっていても、何もやっていなくても一定のペースで消費されていくものです。

その中で人は本来は重要度の高いことからこなしていき残った時間を余暇として過ごすのが普通です。

すなわち、人とのアポイントメントがあれば約束の時間帯に約束の場所に行くことが重要になるでしょうし、かつてないような腹痛に襲われた時には病院に行くことが重要でしょうし、お客様がカンカンになって怒鳴り込んできたら今やっている仕事をそっちのけにしてでも対応に当たることが重要でしょう。

やや長期的な視点で考えると、しっかりと睡眠や食事をとる時間を確保したり、体を鍛えたりする時間の重要性も認められるでしょう。

 

こう考えてみるとこの重要度というのは1つとして同程度のものはないはずなのです。

とすると、本来的には24時間の時間の使い方は重要度の高いものから順番にあてがわれていき、重要度が低いもので24時間の枠からはみ出したものが省略されたり、先送りされたりすることになります。

しかし、「時間がない」と言っている人はこれができないのです。

 

なぜできないのかについて考えてみたときにキーワードになってくるのが「緊急性」というものです。

「緊急性」というと重要度も高いように思われ、先ほどの急病のような話であれば緊急性も重要度も高いことになります。

しかし、それ以外に緊急性が高いもの(又は緊急そうに見えるもの)であって、重要度の低いものも世の中にはたくさんあります。

 

その最たるものがスマホにかかってくる電話やポップアップ通知です。

重要度についてはわかっていたつもりで、1日を重要度の高い順に過ごしていこうと考えているにもかかわらずスマホが大音量で鳴ったとしたらとりあえずは見てしまいます。

これはスマホが鳴るということは予定されたものではないからです。

そこで重要な通知が来たとすれば、確かに重要度のランキングを入れ替える必要はありますが、それほど重要ではない飲み会の出欠確認のような話であったとしても、ついついその場で返信をしてしまったりします。

これこそが重要度の例外を設けてしまった一瞬なのです。

 

この時に「1通返信するくらいなら1分もかからないから大丈夫でしょう。」と考えてしまいがちですが、これが危険極まりないことなのです。

1通返信しようと思ってメールフォルダを開いてみたら、もう1通来ていたとしたらどうででしょうか。

このもう1通も返信してしまうというのが人情です。

こうしてどんどん時間が奪われて行ってしまうのです。

そうすると重要なことに充てる時間が足りなくなっていくのは自明のことです。

 

「時間がない」と言わなくするためには事の「重要度」をとにかく意識する必要があるのではないでしょうか。

 

 

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