【札幌 弁護士コラム】「天才」の定義に関するある仮説

【札幌 弁護士コラム】「天才」の定義に関するある仮説

(本記事は平成29年4月13日分の未投稿記事です。)

 

世の中には「目の前のことを一生懸命やっていたらここまで来ました。」と言って、一般から見ると相当な成果を挙げるような人がいます。

こういう人って本当の「天才」ではないだろうかと思うことがあります。

 

そもそもの前提として普通の人は簡単に長期的な視点でやるべきことがわかりません。

それというのも明確な目標やゴールを定めている人は極めて少数であるからです。

そして目標やゴールを定めるということもそれほど容易なことではありません。

 

また、目標やゴールを定めたからといっても必ずしもそこに至るためのノウハウを持っているわけではありません。

普通の人は目標やゴールを達成するために試行錯誤をし、紆余曲折を経て何とかたどり着こうとします。

しかし、これもなかなか成果が出なければ途中であきらめたり、方向転換してしまうのが普通の人です。

 

私(荒木)が上記の「天才」と称する人の定義としては、生まれつき目標やゴールとしての能力を有しているという意味ではなく、目標やゴールを自然と定めることができ、かつそこに至るまでの覚悟や信念が一切ぶれない心を持っているということです。

 

しかしこのような「天才」という人がいるからといって普通の人は悲観する必要はありません。

このような意味での「天才」的な能力は普通の人でも意識を変えることや、自ら環境を整えることによって実現できるからです。

この手法をごく簡単に述べるとすれば、「目標やゴールとなる人に巡り合う」ということと「志を一つにできるような仲間を見つける」ということに集約されると思います。

結局、「天才」といえども人であり、普通の人が成果を挙げられるようになるのも人次第ということではないのでしょうか。

 

URL :
TRACKBACK URL :

コメント欄

*
*
* (公開されません)

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)