【札幌 弁護士コラム】嗚呼、哀しき他責思考の末路

【札幌 弁護士コラム】嗚呼、哀しき他責思考の末路

(本記事は平成29年2月14日分の未投稿記事です。)

私(荒木)は弁護士という職業柄、色々な方とお会いさせて頂いております。

中にはこの方は素晴らしい、あやかりたい、目標としたいというような立派な方も多くいらっしゃいますが、残念だな、このように考えることはできないのかな、少し学びが足りないのではないかな、と考えてしまう方もいらっしゃいます。

特に法的トラブルを扱う仕事をしている以上、トラブルになっている方やうまくいっていない方の中には自らに(も)原因があることを自覚されていないような方はなかなか対処に困る部分があります。

 

そもそもの考え方として「自責思考」なのか「他責思考」なのか、という部分で人の思考方法というものが変わってきます。

自責思考とは身の回りに起こったことは自らに責任があるという考え方、他責思考とは身の回りに起こったことは他人に責任があるという考え方をいいます。

もちろんこの思考傾向は二択ではなく、中間的な立ち位置の人、事柄によってどちらかに寄って考える人など様々です。

 

このどちらの考え方に立ったほうが事がうまく回るかというと、自責思考のほうであると考えられています。

もちろん人間が社会的動物である以上、外部環境が個人的な事象に影響を与えることは避けようがありません。

しかし、自らの行動の物事の結果に対する因果性を否定し、すべてを外部環境によるものだと考えるようになる他責思考に依ると、自らの行動を省みなくなります。

自らの行動を省みなくなるということは、自らの行動を改める機会を失うことになります。

そうするといつまでも同じ行動しかとらなくなり、同じ結果(=思わしくない結果)しか出なくなってしまいます。

 

思わしくない結果を自らの責任をとして受け止めることは精神的に容易なことではありません。

しかし、そのプロセスを超えていかなければ成長はないのであり、他責思考である限りは思わしい結果は得られないものと考えたほうがよいのでしょう。

URL :
TRACKBACK URL :

コメント欄

*
*
* (公開されません)

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)