【札幌 弁護士コラム】宿昔(しゅくせき)青雲の志としないために

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(本記事は平成28年12月2日分の未投稿記事です。)

 

張九齢の作とされている詩に次のようなものがあります。

 

「照鏡見白髪」   張九齢

宿昔青雲志(宿昔(しゅくせき)青雲の志)

蹉跎白髪年(蹉跎(さた)たり白髪の年)

誰知明鏡裏(誰れか知らん明鏡の裏(うち))

形影自相憐(形影自(みずから)相い憐れむを)

 

この詩は要約すると「昔は出世する大きな夢を持っていたものだが、いつの間にか年を取って白髪になってしまい、鏡をのぞき込んで見れば、なんとも皺が寄って憐れな姿だなぁ」という意味になります。

この詩は自分の現在の姿を否定的に捉える説と、肯定的に捉える説がありますが、私(荒木)は否定的な意味だと考えています。

そうだとするとこの詩からは、「後悔しないように志に向かって生きて行きなさい」というメッセージを受け取ることができます。

 

ここで後悔を表していると取るのは否定的と解釈していますが、しかしそれが必ずしも不幸なことではないように思います。

張九齢の生きた唐の時代は役人として出世することが最大の功労とされており(張九齢自身もそれなりの官職に就いていました。)、価値基準が分かりやすい時代だったと考えられます。

そのため張九齢も役人として上り詰めることができなかったことの後悔を詩にしました。

 

一方で、現代の日本に置き換えてみるとどうでしょうか。

価値観の多様化、個人主義を肯定するのが当然の世の中になっている反面、何か万人が共通して持つ(べき)価値基準がないがしろにされているようにも感じられます。

価値観の多様化、個人主義を否定するつもりはないのですが、これらをあまりに強調しすぎると「志」というものが見えなくなってしまうのではないでしょうか。

 

現代においては「志」を達することができなかったことを悔やむ以前に、「志」を持つことすら稀な世の中になってきているのかもしれません。

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